kiicha51のブログ

NEWS大好き。香港からの留学生。日本語勉強中。

メトロック記事・NEWS

▷【NEWS:デビュー20周年の無敵三和音】

 

ジャニーズグループ・NEWSのファンは早朝からWINDMILL FIELDの前列を埋め込めた。NEWSが登場する前に、去年NEWSと一緒に全国ツアーを回ったバンドが最後のリハーサルをしたところ、前列のファンと楽しくやりとりをしていた。会場は一体になり、盛り上がっていた。

 


小山慶一郎さん・増田貴久さん・加藤シゲアキさん(以下敬称略)——オレンジのつなぎ衣装を着ている三人のメンバーが登場した途端、ファンの叫び声が迸った。他のアーティストとは違って、会場は「黄色い声」が溢れていた——これがアイドルの力だ。噴射された水さえファンの悲鳴を誘った。

 


NEWSと言えば、「三人しか残ってないか...」、「〇〇がいなかったら物足りない」というイメージを持っている方も多いでしょう。しかし、この三人はNEWSを守ることを選んだ人たちで、NEWSファンが守りたい人たちなんだと、今回の演出を通じて、ファンと共に証明できたと思う。

 


まず流れてきたのは、会場の熱さを一気に上げさせたNEWSの名曲である「weeeek」と「チャンカパーナ」だった。これまで見てきた公演の中で一番興奮していたシーンだったと思う(コンサートではこんなに高くジャンプすることがなかったよう...w)。より近くに自担と会えるように、会場は通勤ラッシュのようにかなりぎゅうぎゅう詰めだったが、それでもファンのみんなは全身を使ってジャンプし、「もういっちょ!」と大きな声で叫んだ。会場は熱い体温から溢れた熱気で包まれ、とても楽しかった。六人時代から四人時代、今でもずっと歌っているこの二曲だが、歌割りの他にも、今のNEWSだからこそ実現できる進化が叶えられた。例えば、「weeeek」のラップでは:

 

 

「外面良くして35を 過ぎた頃 俺達どんな顔 かっこいい大人になれてるの?」

 

 

昔は一人のメンバーが全部を歌ってしまったが、去年のツアーから増田・小山加藤の掛け合いになり、今はNEWSと観客のC&Rに進化した。GReeeeNが2007年に提供したこの曲は、16年間歌われ続けたことにも関わらず、まだまだ変化を求め続け、まだまだファンたちを夢中にさせる。これがNEWSの20年に築き上げてきた、変わる物と変わらぬ物の間に生み出した最高のエンターテイメントである。

 

 

初めて野外フェスに出るNEWSに初対面の方も大勢いたので、厳選なる選曲も気になっていた。NEWSはまず、ロック調の新曲「Tick-Tock」をパフォーマンスし、普段はあまり外部に披露されない「神曲」と言われるヒップホップ調の「JUMP AROUND」と音域の広い「夜よ踊れ」を歌っていた。それだけではなく、NEWSは一番面白いMC時間を使い、MC担当としてメンバーやバンド、ファンとファン以外の観客を一人残さず全員に気遣う小山の能力、いただいた曲を大切にする增田の真面目さ、知られざる暴れる一面が持つ加藤の面白さ、三つの異なる性格をたったの40分間で、全部観客の前に表現できた。

 


人気アイドル曲、かっこいい曲以外、バレーボール応援グループ出身のNEWSには、勇気を与える応援歌が一番多かった。「生きろ」はリリースされる前に、スタッフさんに「この曲を背負う覚悟ができてますか?」と問われるほど、とても重い一曲である。この曲を通じて私たちに「生きろ」と言いかけてくれる前に、メンバー同士の肩を触れ合い、「仲間の絆を道しるべに」という歌詞を具体的に体現した。そして、全身全霊に、跪くほど全力を使って歌っていた。順風満帆とは言えない20年間だが、NEWSは命をかけて「生きろ」と、私たちにそう伝えた。

 


メンバー同士の絆だけではなく、ファンとNEWSの関係性も、とても強く結ばれている。2021年にリリースした「未来へ」と GReeeeN が2017年に提供した「U R not alone」にもファンとの合唱の部分があったが、NEWSのファンは小山の言った通り、会場を引っ張った「先導」になり、明るく澄んだ歌声は一瞬に新木場に響き渡っていた。隣の女性が「僕は誓うよ 一切引かないし 一切負けない」の歌詞を歌った時に涙が流していた。コロナの影響で、2019年以降、NEWSの前でこの曲を大声で歌うことができなかった一曲で、誰の心にも響いていた。あの時誓っていたことが、叶えられたでしょうかね。

 

 

20年間の山あり谷ありにも関わらず、NEWSの3人は積み重ねてきた成果を維持するだけでなく、常に自分の限界を突破し続けるということが、初めて立ったメトロックのステージ上に満更でもない三つの笑顔を見ると、確信できた。

 

 

増田の安定した広い音域、加藤の挑戦的な高音、小山の落ち着いた低音こそ、ここ3年間に築き上げられ、ファンたちが求める無敵の三和音なのだ。

渋谷と1と0と:超個人的な感想

㊗️ショートフィルム公開おめでとう!🎉

 

いつもしげちゃんが創り上げた世界観から沢山考えさせています。今回は『檸檬』の原文を、しげちゃんのショートフィルムを何回も拝読して拝見し、頭が痛くなったくらい回転させました。メモとして残そうと、このブログに感想を書かせていただきます。

 

申し訳ないことでございますが、日本語が母国語ではないので、見苦しい部分・理解の間違った部分がたくさんあるかもしれないが、どうかお許しください🙇🏻‍♀️これを機に日本語の文章表現を練習したいと。これからも頑張りたいと思います...!

 

 

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タイトルはすでに物語の設定や展開を明かした。1と0、黒と白、リネンサプライと作家、虚構と現実。

 

「何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。」

 

——リネンサプライのシゲアキはこう唸っていた。

小說『檸檬』の主人公はこうして、繁栄街の隅っこに建てられた果物屋に惹きつけられた。病気と借金に追い詰められた彼は、二日酔い後の焦燥と似たような感覚で、この体中に名も知らずに拡散した「不吉な塊」を、果てのない想像に任せて逃げた。想像力を通じて、彼は「二重写し」に身を置けた。そして、この崩れんばかりの町中にみるみるとぼかして消える自分の姿を見て楽しむことができた。

 

リネンサプライのシゲアキは毎日、繰り返す生活を送っていた。汚れた手ぬぐいを受け取っては、洗濯して畳んで、お客様の元に届けて、汚れた手ぬぐいを受け取っては、洗濯して畳んで…。

 

誰かが誰かの忘れ物を拾ってあげていた——横断歩道上に助け合っている人たちの姿が彼の目に映った。こんなに和んでいた風景を眺めながら、車にひとりぼっちの自分はまるで道端に捨てられた落とし物のよう、彼は孤独と苦痛を覚えた。あの「不吉な塊」が自分の体中に一気に広がったと確実に感じていた。小説の主人公のごとく、「二重写し」に浸かりたくなった。自分が『檸檬』の主人公だと想像した彼は、念仏を唱えるような唸り声で、この独白を読み上げた:

 

「…汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが…。」

 

あえて原作の「好きであった」という最後の一言までは言わなかった。彼はただ、車を運転する気も無くなったくらい、目の前に展開された通りかかった人たちの物語をじっと見ていた。——この人にとっては、自分を二重写しに囚われて現実逃避していいのか?実は、願わくば拾われた落とし物に化したい。実は、檸檬を爆弾だと喩える表現に無力感を覚えた。この人は、現実を抗えるため、妄想に酔いしれることが、本当に欲しがっているのか?


それでも、いつものような生活を繰り返し続かないといけなかった。汚れた手拭いを回収するように、彼はお客様の元に足を運ぶ。この瞬間だった。「不吉な塊」という曖昧な言葉を具体的な形にしていたみたいに、鼻から咄嗟に片方の真っ赤が垂れていたこの瞬間だった。彼も同じくこの言葉に思いを馳せただろう。車内の鏡越しに情けない自分を覗いてみた彼は、『檸檬』の書き出しを淡然と唱え始めた:

 

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」

 

しかし、今度こそ、彼はもう道端に捨てられたがらくただと言われては済まなかった。彼はもう自分に媚びられる見すぼらしくて美しいものではなくなった。今度こそ、自分の所有物を使って彼の存在を証明する人が現れた。この触感は、馴染んでいた手拭いではなく、誰かの手のひらからもらったハンカチだった。体温に染められて、熱量に色付けられたハンカチだった。

 

或いは鼻から出た血液が「不吉な塊」ではなかった。彼は『檸檬』の主人公と同じ体験をした。檸檬の香りが鼻に突かれた彼の血液のほとぼりは沸かして、外側にぱっと、溢れ出しただけ。ハンカチを受け取った彼は、檸檬を手に入れた主人公が得た感情を味わった。そこで、彼は主人公が檸檬を本の上に置いた後に、嬉しくて落ち着けない思いを、こう語っていた。

 

「私は変にくすぐったい気持がした。『出て行こうかなあ。そうだ出て行こう』そして私はすたすた出て行った。変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。」

 

檸檬は山のように積み上げた本の色彩を一冊残らず全部吸収した——小説の主人公はこうして、自分の想像に心を弾ませた。その一方、リネンサプライのシゲアキは、実在する血まみれのハンカチを手に持って、ベルニーニが彫った『聖テレジアの法悦』と似たようなエクスタシーを心が刻まれた。

 

ところが、次の瞬間にこの世界へ足を踏み入れたのは、作家のシゲアキだった。彼は、リネンサプライのシゲアキが一番を苦手な文章を読みながら登場した。

 

丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。」

 

リネンサプライのシゲアキはキレイなハンカチを水に入れて洗浄した。ただし、作家のシゲアキは汚れだらけの手拭いを水面に広げた。——リネンサプライのシゲアキも、作家のシゲアキが虚構した想像であることをふと思い出させた。

 

「汚れたものを受け取って、白いものを渡す。」——この職業について、作家のシゲアキは最初にこう述べた。しかし、黒く染められた手拭いを拾ったのは、作家のシゲアキだった。作家のシゲアキの目に映したのは、手拭いを使って顔を拭いた年配の方。しゃがんで何かを拾おうとする子供たち。——彼は、リネンサプライのシゲアキの苦難と欲望を手に握っていた。虚構の自分を想像に依存させたのは彼自身だった。そして、救いを求めるサイレンを響くように、虚構の自分を虚構の中で言い淀ませたのも、彼自身だった。

 

かといって、このサイレンの響きさえも、作家のシゲアキの想像に過ぎなかった。カフェに席を取った作家のシゲアキは、洗濯した手拭いを城壁のように積み上げた。まさに檸檬の主人公の行動に重なっていた。檸檬の主人公が檸檬(本体)から得た開放感も、リネンサプライのシゲアキが檸檬(小説)から得た現実逃避の失敗経験も、全部、彼の狂想だった。作家のシゲアキも自我が見失ってしまう「二重写し」の中に囚われている。

 

「私はこの想像を熱心に追求した。」

 

1と0、黒と白、リネンサプライと作家、虚構と現実。

 

察しはつくだろうがここまで書いたこの感想文には、第一人称を使ったことが一切なかった。おそらく、作家のシゲアキさえ私の想像に生きている人物に過ぎないかもしれない。結局、この世には、誰もかも「二重写し」に自分を見失った被害者と加害者だった。

 

——「なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。」

 

 

https://youtu.be/xCKepf9uMaE

 

 

インスタの余白

 

 

とある気怠い土曜日のことである。

 

斜陽は電車がまだ来ないうちにホームドアのガラスを通過した。のんびりと、自然の分子が入り込んだ。機械により調節した空気も傲慢を捨てずにはいられなかった。

 

夕陽に照らされたスマホの画面は暗くなったが、持ち方を変えると自動で明るくなりはじめた。まるで命を与えられたように、逆光の中でも必死に生きられる。もしくは、心を読めるように、電車が来るまで時間潰しを私に与えた。一体誰のために生きてきたの?

 

いつものようにインスタのプロフィール欄を開いて、憂鬱なふりをして書いてあった歌詞を削除した。その代わりに、より寂しそうに見える余白が残されていた。この言葉を書き直したい時には、名もなき悲しみに襲われたこともなく、ただ習慣に迫れられた。直らない癖だ。本当の自分にとっては、単なる上から目線の傍観者に過ぎない。自分のことなんて到底わかっていない。

 

余白の上に輝いている黒い線に視線を奪われて、指はキーボードに何センチ離れて動けなかった。

 

「すみません。電話の出方教えてもらえる?どう押しても反応しないわ。」

 

眼前の画面はとっさに二分に割られて、右に入り込んだのは見知らぬ一面の真っ緑だった。ひたすらに上へ突進する点線たちが焦っている矢印になって目立ったが、残念なことに主役に気づかれなかった。そこで、何も知らなかった私は無意識に、可哀想な矢印に作られたリズムに合わせて指を上下に移動した。

 

待ちわびた矢印がやっと持ち上げられた。このちょっと年取った女の人のために生きてきたのかな?無視された悲しい経過を自己紹介欄に書くのかな?目線を自分のスマホに戻したら、微睡に落ちていたモニターが目に映った。不憫な矢印たちにマウントを取るように。

 

「どうしてまだ反応しないの?」

 

画面には四桁の数字が表示されて、その中の一桁は上へぴょんぴょんと飛び跳ねはじめた。初登場だったせいか、数字たちはオロオロしていた。その時、私はあの矢印達が放った遺言を聞こえたみたいに、あの女の人に伝えた。

 

「もう出たよ!」

 

スマホをぱっと顔に近付かせ、長い時間に待っていた向こう側に私が理解できるわけがない言葉がぺらぺらと喋り始めた。この場面をなんと可愛く見える自分がいた。

 

列車はゆっくりと駅に着いた。無機質な壁は私からここに溶け込んだばかりの光を分けたり、さっきまでソワソワしていた女の人も離れさせたりした。まだ仮眠しているスマホを持ち上げて、車内に移動した。それでも何を打ち込めばいいのかさっぱりわからなかった。

 

自然、科学技術、人類。なんでも知っていると私たちはそう思い込んでも、何もかも分かっていなかった。

 

余白をはっきりさせないまま家に帰った。暫く片付けてソファーに転んだら、また自分のインスタを眺めていた。いきなりだけど、右側に馴染みのない画面が再び現れられた。

 

「どうしてこのスタンプを保存できないの?」

 

お尻のイラスト。これは母ちゃんの悪趣味かどうかはわからないが。私には何にもわからない。長い指に力入れてお尻を押していた。あのお尻は仕方なく無言で受け入れた。

 

乱暴な差し指を追い払って、あの一片の肌色を優しく撫でていた。文字が吹き出してから、お尻ちゃんはもう母ちゃんのスマホに移住した。それっていい事なのかな。

 

彼女たちにとって、私の自己紹介欄には「スマホの達人」という文字が明確に刻まれていただろう。しかし、生まれてから電子製品を使い慣れたこの世代には自慢できるようなことではなかった。スマホをうまくいじれる事より、他人に手伝いを求められる方が上手かもしれなかった。

 

で、あの余白は、未知に満たされたままでいいや。

 

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這是個傭懶的星期六。

 

列車還未到站。斜陽趁這空檔穿透玻璃幕門,大自然的粒子悠然灑進。由機械調節過的空氣,也不得不放下自以為高人一等的傲慢,與其共處在同一空間。

 

電話屏幕在餘暉下黯淡無光,換個角度,卻會自動調亮,彷彿擁有了它的生命,在逆光下尚能掙扎求存;又彷彿能讀懂我的心,為我在侯車時能繼續打發時間——它到底為誰而活?

 

我如常地點開了instagram的自我介紹一欄,刪掉了本來想耍點憂鬱的一行歌詞,換來的卻是更顯寂寥的空白。每次改寫這一串句子,也並非有甚麼無名的悲慟突然襲來,只是一個習慣,或許是一個壞習慣。在真正的自己面前,我只是一個裝作高高在上的旁觀者,但我根本不認識我自己。

 

我的視線凝結在那片空白上閃閃爍爍的黑色直線,手指懸在鍵盤上幾厘米的空中。

 

「不好意思,你知道我能怎樣接電話嗎?我怎麼按也沒反應。」

 

映在我眼裏的畫面兀的一分為二,一片綠油油塞到了我的右方,最奪目的是一隻往上盲闖的幾條虛線,形成了看來十分焦慮的箭嘴形狀,可惜主角未能理解它們的急躁。而我,一個亳不相關的路人,卻在潛意識間讓本來架在自己手機上的食指,頻頻跟著可憐的箭頭所舞動出的節奏,上下撥弄無辜的空氣。

 

那上了年紀的女人慌忙撩起那串等候已久的箭嘴。它們也是為這女人而活嗎?若它們要為自己寫個自我介紹,可會心酸地寫出自己如何被無視?我把目光放回自己的屏幕時,欲只見它已安心地進入了淺眠狀態,似是在向那堆可悲的箭頭下著戰書一般。

 

「怎樣還是沒有反應?」

 

畫面上的四位數,有個數字開始慢慢往上跳動,或許是初次登場,它們也手足無措。這時,我彷彿聽得箭頭們的遺言,並幫它們傳話:

 

「已經接通了!」

 

女人馬上把手機貼到臉龐,開始回應那相信同樣也等了許久的另一方,口中說著一些我無法掌握的內容。這樣看著,竟覺得有點可愛。

 

列車緩緩駛進,隔走了才剛融入環境的光束,也隔走了剛才仍很迷惘的女人。我舉著淺睡的手機,走入車廂,仍是想不出該打些甚麼。

 

自然、科技、人類。我們怎麼總覺得自己得悉一切,卻其實是一無所知啊。

 

留著不解的一抹純白回到家中,整頓好一切後,我又坐在沙發上盯著我的instagram。忽然,又有一個我不熟知的畫面在我右邊出現。

 

「為甚麼我儲存不了這張貼圖?」

 

一個屁股的貼圖。我不知道這是否媽媽的惡趣味,我甚麼也不知道。只見她的手指用力長按在那屁股之上,而那屁股,也只能無奈一直被按,一言不發。

 

我撥開她暴力的食指,輕輕拍在那肉色上,彈出了一堆文字後,那屁股就移居到媽媽的手機去了。到底這算不算好事呢。

 

或者在她們眼中,我的自我介紹上洋洋灑灑地刻上了「科技達人」的四個大字吧。然而,我們這些科技世代,只能算是舉手之勞;或許比起擅長運用電子產品,我更擅於被途人請教吧。

 

至於那片空白,就由它保持未知的樣貌好了。